どれが正解だったかわからない、正解を導くことができない、なんてことは社会で生きていると往々にしてあると思います。

そんな時、納得解というものが存在するそうです。

答えは1つである、と考えてしまうからしんどくなってしまう。

勉学の際は答えが1つということが多かったですからそう考えてしまうのは仕方がありません。

勉学は正解がある問題を解く訓練ですから、社会に出た際に使うこともあれば、使わないこともあります。

世の中には正解のない問題もたくさん存在します。

あの人はその答えに納得し、この人はその答えに納得しない、なんてことはたくさんあります。

皆が納得する答えは多くありません。

正解がないのかもしれません。

じゃあ、自分が納得できる正解でいいのではないでしょうか、という話になります。

正解ではないのかもしれないが、納得はできるし、前へ進もう、と思えるのであればそれで十分なのではないでしょうか。

前へ進もうと思える、多くの体験・経験を得ようとすることが世の中を生きていくうえで必要です。

正解に固執するあまり、何もできなくなってしまっては元も子とありません。

時には正解は必要ですが、そこを追い求め続けるのは学問だけでいいのかもしれません。

大野