以前、西本が「若いということ」についてブログを書いていました。
今日は、私からも「若い」ことについて書いてみようと思います。

現在、若い人にとっては「幼い」と思われる自分は嫌だと考えるでしょう。
「俺だって・私だってやればできる」と意気込んでいることだと思います。
私も、若いころは様々な制限に理不尽さを覚え、時には反発もしていました。

年を重ね、今、私が「若い」について思うことは、「可能性の塊」ということです。
失敗をしても、許してもらえるのも若い時
何かにチャレンジしても暖かく見守ってもらえるのも若い時です。
「思うようにやりな」という言葉を贈った西本に私も同意見です。

やってみることに意味がある、それが糧・経験値となり次のステップに向かうことができる。
たとえチャレンジが失敗に終わったとしてもです。
子供によく将来の夢は何ですかと聞く機会があると思いますが、どれかに一つに絞りそれに突き進むのもよし、決められなくてもまたこれもよしです。
得手不得手があるのですから、やってみないとわかりません。
自分ではやりたくないけどできてしまうことがあるでしょう。
反対に自分ではやりたくてもできないこともあるでしょう。
それを知るためには「やってみ」なければわかりません。
やってみた結果、判断できれば十分成長できているでしょうし、悔いは残らないと思います。
懐かしむことで、話のネタにもなるでしょう。

やんちゃなことをすることもあるでしょう。それもよしです。
ただ、やったことに対する責任を知ることが重要ですよ。
反省から得ることが、大きな財産となりますから。

親が周りが反対するからできなかったと嘆くのではなく、はっきりと主張することが大切です。
かわいい子供に旅をさせない親はいないのですから。
「やってみたいんだ」といえるのは若さの特権です。

私はおじさんになって「やっておけばよかった」と思うことがたくさんあり、できないことが多すぎて現在困ってるくらいです。

私からも、若い皆さんに対して「やってみな」という言葉を贈りたいとおもいます。

大野