ツーブロックヘアーは校則で禁止します。
なぜなら、トラブルに巻き込まれる危険性があるためです。

この校則は議論となりました。

ヘアースタイルなんて自由にするべき。
ツーブロックにしたからといってトラブルに巻き込まれることはない。
教師の仕事を増やすな。

風紀を保つための校則だから理解できる。
実際にトラブルに巻き込まれた場合、学校のせいにするだろ。
学校は学問をするところでおしゃれをするところではない。

様々な意見があると思います。

風紀を保つために必要であるならば、校則として定めるのは正しいのでしょう。
なんでもかんでも流行りを禁止するものであれば、校則として定めることには疑義が生じます。

ただ、日本の社会は「ルール」を重視する風潮にあります。
誰かに見られ、評価され、出世をする社会です。
トップに立たない限り、常にジャッジされる側に立つのが基本となります。

学校は主として学問に励む場所であります。
その次に「ルール」を体験する場所であると思います。

嫌なルール、正当に評価されない悔しさ、これらを変えるためにはジャッジする側に立たなくてはなりません。

情報発信ツールが発達した現代では、ジャッジされる側が不当な扱いを受けた場合、発信できるようになりましたが、根本を変えるまでには至っていません。

文句だけ一人前になっても、何も変えられないのが一番つらいと思います。
行動力がついたとしても、壁を乗り越えられる能力がなければ挫折してしまいます。
そんな状況にしないためには「社会」を変えるしかないのです。

言い方は悪いですが、現在の日本は「権力」がすべてです。
これを変えるには並大抵の努力ではできません。
権力を掌握し、ルールを変えて、はじめて日本の社会が変わるところまでゴリゴリに凝り固まっているのが日本だと思います。

ですので、基本的には社会での立場は3パターンだと思います
 ・ジャッジされる側
 ・ジャッジする側
 ・現在の社会のルールが不当だと考え、これを変えるために権力を掌握する

学校であっても、社会人としても常にジャッジメントされている。
そんな社会で生きていかなくてはなりません。
校則は、その疑似体験としてのルールです。

大野