なぜ人は、初心を忘れてしまうのか。かつて自分も何もわからなかったはずなのに

新しい仕事を始めたばかりの人。
初めてその場所に足を踏み入れた人。
何もわからず、誰に何を聞けばいいのかさえわからない人。

誰にでも、そんな時期があったはずです。

最初から何でも知っていたわけではないでしょう。失敗しながら覚え、周囲に教えてもらい、ときには迷惑をかけながら、少しずつできることを増やしてきたのではないでしょうか。

それなのに、いつの間にか自分より経験の浅い人に対して、きつい言葉をかけてしまうことがあります。

「そんなことも知らないのか」
「前にも説明しただろう」
「少しは自分で考えたらどうなんだ」

そう言いたくなる気持ちも、わからないわけではありません。教える側にも余裕がなかったり、同じことを何度も説明することに疲れていたりするでしょう。

それでも、ふと考えることがあります。

自分だって、最初は何もわからなかったはずなのに。

なぜ、人は初心を忘れ、後から入ってきた人に厳しく接してしまうのでしょうか。

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できるようになると、できなかった頃の自分が遠くなる

一つの理由として、できなかった頃の感覚を、少しずつ忘れてしまうことがあるのかもしれません。

初めて仕事を覚えるときには、何もかもがわかりません。

専門用語も、仕事の進め方も、誰に何を確認すればよいのかもわからない。周囲にとっては当たり前のことでも、本人にとっては一つひとつが初めての経験です。

しかし、毎日繰り返しているうちに、できなかったことが当たり前にできるようになります。

以前は悩んでいた作業も、今では何も考えずに進められる。かつて誰かに教えてもらったことも、いつの間にか自分の知識になっています。

すると、その知識を持っていなかった頃の自分を、具体的に思い出しにくくなるのではないでしょうか。

自分にとって簡単なことは、相手にとっても簡単なはずだと思ってしまう。

自分がすでに知っていることを、相手が知らない。その事実に、必要以上に驚いたり、いら立ったりする。

けれども、今の自分が簡単にできることと、初めて取り組む人が簡単にできることは、必ずしも同じではありません。

自分にとっての当たり前は、誰かにとっての当たり前とは限らない。

そのことを忘れてしまうのは、経験を積んだからこそ起こることなのかもしれません。

苦労して覚えたからこそ、相手にも厳しくなる

もう一つ、考えられることがあります。

それは、自分が苦労してきた経験が、知らないうちに他人への厳しさに変わってしまうことです。

自分も最初は何もわからなかった。失敗もしたし、怒られもした。それでも何とか覚えて、ここまでやってきた。

そうした経験がある人ほど、「自分もそうやって覚えたのだから、相手も同じように覚えるべきだ」と考えることがあるのではないでしょうか。

自分が厳しく指導されてきた場合には、厳しく教えることが当然だと思っているのかもしれません。

あるいは、自分が苦労して身につけた知識や技術を、簡単に教えてもらおうとする相手に、不公平さを感じることもあるでしょう。

「自分だって苦労したのだから、少しは自分で考えてほしい」

その気持ち自体は、必ずしも間違いではありません。何でも人に頼るのではなく、自分で考え、学ぶ姿勢が必要な場面もあります。

ただ、ここで考えたいのは、自分が苦労したことと、相手にも同じ苦労をさせる必要があることは、別の話ではないかということです。

自分が厳しく教えられたからといって、次の人にも同じ厳しさを引き継ぐ必要はありません。

自分が苦労して覚えたことを、後から来た人が少しでも早く覚えられるように伝える。それもまた、経験を積んだ人にできることの一つではないでしょうか。

苦労した経験は、人に厳しくする理由にもなりますが、人の苦労を理解するきっかけにもなるはずです。

余裕がなくなると、相手の立場まで考えられなくなる

人が初心を忘れてしまう理由は、単に記憶が薄れるからだけではないのかもしれません。

自分自身に余裕がなくなっていることも、関係しているように思います。

仕事が忙しい。責任が重い。自分も上司や顧客から厳しいことを言われている。失敗できない状況に置かれている。

そんなときには、目の前の仕事をこなすだけで精いっぱいになり、相手の状況まで考える余裕がなくなってしまうことがあります。

相手がなぜわからないのか、何につまずいているのか、どこまで理解できているのか。

本来であれば、そこを考える必要があるのかもしれません。

しかし、余裕がないと、「なぜできないのか」という結果ばかりに目が向いてしまいます。

その結果、教えることよりも、相手を責めることが先に出てしまう。

もちろん、忙しいからといって、何を言ってもよいわけではありません。それでも、人がいつも冷静で、誰に対しても寛容でいられるとは限らないのも事実です。

だからこそ、誰かにきつく当たりそうになったときには、相手の問題だけでなく、自分自身に余裕がなくなっていないかを振り返ることも大切なのかもしれません。

「自分も最初はそうだった」と思い出すこと

経験を積むことは、本来、できることが増えていくことです。

知識が増え、判断が早くなり、以前よりも物事をうまく進められるようになる。

しかし、それと同時に、以前の自分がどれほど何もわからなかったのかを忘れてしまうこともあります。

今の自分を基準にして相手を見ると、相手のできないことばかりが目につくかもしれません。

けれども、少しだけ時間を戻してみれば、今の自分にも、わからないことばかりだった時期があったはずです。

誰かに教えてもらったこと。
失敗して初めて気づいたこと。
質問するのも怖くて、どうすればよいのかわからなかったこと。

そうした経験を思い出すことができれば、目の前の人に対する接し方も、少し変わるのではないでしょうか。

相手が知らないことを、すぐに能力の問題だと決めつけない。

一度説明したことでも、本当に理解できているかを考えてみる。

間違いを指摘するときには、相手を否定するのではなく、何が違っているのかを伝える。

それだけでも、相手が次の一歩を踏み出しやすくなるかもしれません。

もちろん、何でも優しく受け入れればよいという話ではありません。仕事であれば、覚えてもらわなければならないこともありますし、同じ失敗を繰り返さないための指導も必要です。

大切なのは、厳しくするか、優しくするかという二択ではなく、相手が成長するために、どのような接し方が必要なのかを考えることなのだと思います。

初心を忘れないことは、簡単ではない

人は成長するにつれて、以前の自分とは違う考え方をするようになります。

できることが増えれば、周囲に求める水準も高くなるでしょう。責任が増えれば、失敗や遅れに対して厳しくなることもあるでしょう。

だから、初心を忘れずにいることは、思っているほど簡単ではないのかもしれません。

それでも、経験を積んだ人だからこそ、できることがあります。

何もわからない人が、何につまずきやすいのかを想像すること。自分が以前に教えてもらったことを、今度は誰かに伝えること。そして、自分がかつてそうだったように、相手もこれから少しずつ成長していくのだと考えることです。

今は何もできない人が、数年後には、自分よりも詳しくなっているかもしれません。

反対に、今は何でも知っているように見える自分も、新しい環境に入れば、再び何もわからない立場になることがあります。

そう考えると、立場や経験の差は、決して固定されたものではないのでしょう。

今日、教える側にいる人が、明日は教えてもらう側になることもある。

だからこそ、目の前の人が何もわからないことを、必要以上に責める必要はないのかもしれません。

自分もかつて、誰かに教えてもらい、助けてもらいながら、今の自分になったのですから。

初心を忘れないというのは、昔の自分に戻ることではなく、今の自分がここまで来られた理由を忘れないことなのかもしれません。

そして、もし誰かにきつく当たってしまったときには、相手の未熟さだけでなく、自分の中にある余裕のなさや、忘れてしまっていた過去にも、少し目を向けてみたいものです。

誰かが何もわからないところから始めるとき、その人に必要なのは、必ずしも厳しい言葉ばかりではありません。

かつて自分がそうしてもらったように、わからないことをわからないと言える環境や、失敗から学べる機会が必要なのかもしれません。

自分が受けてきた厳しさを、そのまま次の人に渡していくのか。

それとも、自分が経験してきたことを、次の人が成長するために役立てるのか。

その違いは、日々の何気ない言葉や態度の中に表れるのではないでしょうか。

初心を忘れないことは難しくても、ふと思い出すことならできるかもしれません。

自分も最初は、何もわからなかった。

その事実を思い出すことが、人との接し方を見直す、小さなきっかけになるのではないでしょうか。

大野

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