循環論法が「論理的な根拠」として成立しない理由は、一言でいえば「主張を支えるべき土台が、自分自身だから」です。以下、もう少し掘り下げて説明します。
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1. 【証明のルール】主張には「外部の根拠」が必要だから
論理的な議論においては、ある主張(結論)を説得力のある形で示すには、**その主張とは別の根拠(理由や証拠)**が必要です。
このとき、根拠は「まだ証明されていない主張そのもの」ではいけません。
循環論法では、根拠とされている部分がすでに「結論と同じ意味」になっているため、「AはAだからAである」と言っているのと同じことになります。これは「説明」や「証明」ではなく、ただの言い直しや自己主張にすぎません。
2. 【客観性の欠如】他者が納得できない構造になっている
議論の目的は「相手を納得させること」です。
循環論法は、その説得相手が納得するための判断材料を提示していないため、まったく機能しません。
例として以下のようなやり取りを考えてみてください。
A「なぜこのルールは守らなければいけないの?」
B「ルールだから守らなければいけない。」
このやり取りでは、Aにとってルールの正当性という問題が未解決のままです。
「ルールは正しいと前提して話しているB」と、「ルールの正しさを問いかけているA」では、スタート地点が違うため、議論が噛み合いません。
つまり、循環論法では「共通の土俵に立った説明」ができず、説得的コミュニケーションが成立しないのです。
3. 【思考停止を招く】問いを問う姿勢を止めてしまう
循環論法はしばしば、「なぜ?」を止めてしまう危険性をはらんでいます。
- 「Aが正しいのはAが正しいから」
- 「その制度は必要だから必要なのだ」
このような表現は、一見“筋が通っている”ように聞こえる場合もありますが、実際には思考のループに入っており、問題の根本に向き合っていないのです。
教育や社会制度、政治の議論などでこうした論法が頻繁に使われると、「仕方がない」「考える必要はない」という空気が生まれ、健全な議論や見直しの機会が失われる危険性もあります。
4. 【反論に弱い】一度問い直されると崩れる構造
循環論法の構造は「見かけ倒し」です。少し鋭い質問をされると、すぐに論理の骨組みが崩れてしまいます。
たとえば、
「この薬は効く。なぜなら効果があるからだ。」
という説明に対し、「その“効果がある”というのは、どう証明できますか?」と問われたとき、別の根拠(たとえば臨床試験の結果や症例数)を出さなければ説得になりません。
反論への耐性が極端に弱いのが、循環論法の最大の欠点です。
結論:循環論法では「根拠にならない」。その理由は論理の基本に反するから
循環論法は、
- 主張と根拠が同一である
- 相手が納得する情報が提示されない
- 思考や問いを止めてしまう
- 反論に対して無防備
といった特徴から、主張を支える“根拠”としては不適切です。
論理的な説得を行いたい場面では、「自分の主張とは異なる、客観的で検証可能な根拠」を提示することが大前提となります。
大野