「幕府」と聞くと、「将軍が政治を行う場所」というイメージがありますが、実際にはどこでどんな建物で政治が行われていたのでしょうか?
江戸幕府なら「江戸城」というイメージが強いですが、鎌倉幕府や室町幕府では“城”ではなかったことをご存じですか?
この記事では、鎌倉・室町・江戸の各幕府における政治の中心地を、歴史的背景と建築の違いも含めて、わかりやすく解説します。
Contents
幕府とは?将軍の政治の拠点
まず、**幕府とは「武士が政治を行う機関・政府」**のことです。
将軍を中心とした武家政権であり、天皇や朝廷が形式的に存在する一方で、実際の政治権力は幕府が握っていました。
政治の中心=「政庁(せいちょう)」となる場所がどこで、どんな形をしていたかは、各時代で異なります。
鎌倉幕府の政治拠点:館形式の政庁(神奈川県鎌倉市)
- 拠点名:大倉幕府 → 宇都宮辻子幕府 → 若宮大路幕府
- 場所:現在の神奈川県鎌倉市
- 形式:お城ではなく、将軍の「館(やかた)」のような政庁
解説
鎌倉幕府(1185年〜1333年)は、源頼朝が開いた武家政権で、政務は自らの居館で行われました。
この建物は「幕府」と呼ばれますが、いわゆる「お城」ではなく、防御性のある館のような作りでした。
大倉幕府跡は現在も鎌倉市に史跡として残っています。
室町幕府の政治拠点:花の御所(京都市上京区)
- 拠点名:室町殿(むろまちどの)または花の御所(はなのごしょ)
- 場所:京都市上京区、現在の京都御所の北
- 形式:将軍家の邸宅であり、庭園を備えた御所風の屋敷
解説
室町幕府(1336年〜1573年)は、足利尊氏が開いた政権で、特に三代将軍・足利義満が築いた「花の御所」が有名です。
この建物は、庭園や会所を備えた華やかな邸宅で、政治・文化の中心地として栄えました。
現在では再現ジオラマや史跡があり、当時の様子をうかがい知ることができます。
江戸幕府の政治拠点:江戸城(東京都千代田区)
- 拠点名:江戸城
- 場所:現在の東京都千代田区(皇居)
- 形式:本格的な城郭建築(本丸・二の丸・西の丸・大奥など)
解説
江戸幕府(1603年〜1867年)は、徳川家康が開いた政権で、江戸城がその政治の中心でした。
将軍は「中奥」で政務を行い、「大広間」では儀式や謁見を行っていました。江戸城は、居住、政治、軍事の全てを統合した巨大な城郭都市でもあります。
江戸城は現在の皇居として一部残されており、石垣や門から当時の壮大さが感じられます。
幕府の拠点を比較してみよう
幕府 | 政治の場所 | 建物の形式 | 現在の場所 |
---|---|---|---|
鎌倉幕府 | 将軍の館(大倉幕府など) | 政庁型の居館 | 神奈川県鎌倉市 |
室町幕府 | 花の御所 | 邸宅(御所様式) | 京都府京都市上京区 |
江戸幕府 | 江戸城 | 城郭建築 | 東京都千代田区(皇居) |
現代でも残る幕府の跡地を訪ねて
- 鎌倉市:大倉幕府跡 → 静かな住宅街に史跡表示あり
- 京都市:花の御所跡 → 京都御苑の北あたりに位置
- 東京・皇居:江戸城跡 → 観光スポットとして人気
それぞれの幕府跡地を訪れると、日本の政治史の変遷を肌で感じることができるでしょう。
まとめ:幕府=城とは限らない!歴史の中で変化した政治の場
「幕府の政治は“城”で行われた」というイメージは、実は江戸幕府特有のものです。
それ以前の幕府では、将軍の居館や邸宅が政治の中枢として使われていました。
建築様式とともに、政治のスタイルや時代背景の違いを知ることは、歴史をより深く理解する手がかりとなります。
ぜひ一度、それぞれの「幕府の跡地」に足を運んで、当時の空気を感じてみてはいかがでしょうか?
大野