アダム=スミスが「国富論」において、市場において、各個人の利己的な行動の集積が社会全体の利益をもたらすという調整機能を唱えました。
自分の利益のために行動をするということは、自分に不利益にならないように行動をするということになるので、効率的な行動をすることになり、その結果、社会の利益・成長になる、というものです。
この言葉は、現在では、市場のおける自由競争のなかで、需要と供給による価格変動の自動調整機能として使われることが多くなっています。
神の見えざる手理論は、市場に任せておけば経済は回る、そんなイメージですが、その神とは誰だろうと思います。
市場に任せておけば経済は回る、のであれば神の担い手は市場、社会全体ということになると思います。
価格変動の機能として考えるのであれば、その商品は要らないと社会全体が考えれば、商品価値は低くなり、値段は低くなります。
その商品がどうしても欲しいと社会全体が考えるのであれば、商品価値は高くなり、値段は高くなります。
そして、商品価値が高く、手に入れにくいものであればさらに値段は高くなるのでしょう。
PS5がなかなか手に入らない、高額な転売がなされている、というのはこのことが理由なのでしょうかね。
市場によって経済が回る、ならば、市場にいる人、すなわち社会の一員のモラルも経済を回すうえで重要な要素となっていそうです。
大野