先日、あるところで長時間労働が問題となっていることがニュースとなりました。
職人の分野での長時間労働問題でした。

職人、提灯を作ったり、畳を作ったり、ケーキを作ったり、その道を究め、人々からお金を払ってでもその商品を欲しいと思ってもらえるようになるには時間がかかります。

AIや工業化によって機械でも作れるにもかかわらず、人が作ったものに価値が出る。
それは、その人しか作れないと思われているからだと考えます。

あるドラマでは職人が次のようなセリフを言っています
「君に才能があると思ったことは一度もない。私も天才などではない。才能とは、自分で必死になって掘り起こすものだ。そして努力に努力を重ねて、一段、一段登っていくものだ。それを努力もせずに麓にいる者は、私のこと「あいつは天才だから」などという。冗談じゃない。私も必死になって努力し続けているのだ。」
リーガルハイというドラマの一場面です。

得手不得手もありますし、作業に時間がかかるかからない、もあります。
人それぞれやり方も違う。

長時間労働は問題ですが、職人を育てるには時間も必要です。
何かを作れる人、でとどまるのであればそこに大きな価値は生まれません。

本当に職人を育てるためであるならば、法律も少し柔軟性を持つようにしなければならないのかと思います。

給料を倍にする、有給休暇を増やし連続で半月以上消化させる、その代わり一日の労働時間は少し増やすなど
疲れたと思わせない工夫が何かできればいいですね。

大野