先日、福島県会津若松市の法國寺会津別院で新型コロナウイルスの終息を願い、観音像にマスクが装着されたことがニュースとなっていました。
塗装とひび割れの補修に合わせて、マスクをつけるという作業をしたようです。
観音像にマスクをつけるなんて、という批判もあったようです。
批判があることに対して住職は、「批判も大変重要な意見です。否定的にとらえる人は、とても純粋な人だと思う、考えるということが大切です」と答えています。
住職という職にふさわしい答えのような気がします。
観音像にマスクという今まで見たことがないものですから、驚きから、「そんなことをするなんて・・・」という批判が起こるのも理解ができます。
ただ、考えてみると、笠地蔵というものもありますから、なくはないのかもしれません。
また、マスクを装着して注目を浴びるというよりも、塗装とひび割れの補修に合わせて、コロナの終息の祈願してマスクを着けたという点において、住職の言葉を借りると「純粋さ」がうかがえます。
観音像にマスク、ということだけを見てしまうと、批判的になりがちですが、その経緯を見てみると少し見方が変わるかもしれませんね。
報道する方も批判が起きないように「観音像にマスクが付けられました」とだけあおるのではなく、「塗装とひび割れの補修に合わせてコロナの終息を祈願したマスクが付けられました、笠地蔵みたいにほっこりするような事案ですね」的な感じでニュースにできればいいのかなと思います。
大野