「自然権」と「人権」という言葉は、ニュースや教科書、SNSなどでも登場しており、ご存じの方も多いかと思います。
しかし、「どちらも同じでは?」「人権って自然権の一種?」と混乱する方も多いのではないでしょうか。
この記事では、自然権と人権の違い・関係性・なぜ重要なのか・混同される理由、さらに**「権利と義務」「権利は義務を果たしてから言え」という言葉との関係**まで、丁寧に解説します。
自然権とは何か ― 生まれながらに持つ権利
**自然権(しぜんけん)**とは、
人が生まれながらにして持っている、奪うことのできない基本的な権利のことです。
例えば次のようなものが含まれます。
- 生きる権利(生命権)
- 自由に考え・意見を持つ権利(自由権)
- 自分の幸せを追求する権利(幸福追求権)
これらは「神や国家が与えるものではなく、人間である限り誰もが持っているもの」と考えられています。
つまり、**自然権は人間の本質に根ざした“生まれながらの権利”**です。
人権とは何か ― 法や社会で保障された権利
一方で、**人権(じんけん)**とは、
自然権を現実の社会の中で守るために、法や憲法で明文化された権利のことです。
日本国憲法でいえば、
- 憲法第11条:基本的人権の享有
- 憲法第13条:個人の尊重・幸福追求権
などに基づき、具体的な「人権」として保障されています。
つまり、**自然権が「理想・根本的な考え」**だとすれば、
**人権は「それを守るための制度・ルール」**です。
自然権と人権の関係性
簡単にまとめると次のようになります。
| 種類 | 意味 | 保障のされ方 | 例 |
|---|---|---|---|
| 自然権 | 生まれながらに持つ権利 | 法がなくても存在する | 生命・自由・幸福追求など |
| 人権 | 法や憲法で保障される権利 | 国家が保障する | 憲法上の自由権・社会権・参政権など |
つまり、
人権とは、自然権を現実の社会で実現するために法が保障したもの
といえます。
🔹「与える」と「保障する」は違う
「国家が保障する」とは、“国家が人に与える”という意味ではなく、
“国家が侵してはならないし、守る義務を負っている”という意味です。
一見すると「保障」という言葉は「与える」ように聞こえますが、
法律や憲法の文脈では意味が異なります。
- 与える(付与する):上位者が下位者に新たに権利を“与える”こと
- 保障する:すでに存在する権利を“守り、奪わないようにする”こと
つまり、
国家は「あなたに自由をあげます」と言う立場ではなく、
「あなたがもともと持っている自由を国家が侵さないように保障します」という立場です。
🔹自然権と人権の関係で言うと
- 自然権:国家や法律ができる前から、人間が持っている権利
- 人権:その自然権を、国家が侵害しないように憲法などで明文化して“保障”したもの
つまり、人権は「国家が作った権利」ではなく、
「国家が守るべきもともと人が持っている権利」なのです。
🔹憲法の考え方から見ても
日本国憲法の基本的な立場は「国家権力を縛る」ものです。
憲法第97条ではこう書かれています。
この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、
人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、
これらの権利は、過去幾多の試練に耐え、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
つまり、「国がくれるもの」ではなく、
「国が守らなければならない、人が本来持っている権利」だということです。
🔹わかりやすく言い換えると
- 国が「授ける」:王様や政府が「お前に自由を与える」と言うような関係(上から目線)
- 国が「保障する」:国民がもともと持つ自由を、国が侵さないように守る(契約関係・対等)
現代の立憲主義では、後者が基本です。
国民の上に国家があるのではなく、国民が国家を制限するために憲法をつくっているのです。
🔹小まとめ
| 表現 | 意味 | 主体と立場 |
|---|---|---|
| 与える | 国家が新たに作って授ける | 国家が上位 |
| 保障する | 国家が人の権利を侵さないように守る | 国民が上位(立憲主義) |
したがって、
「国家が保障する=与える」ではなく、
“国家は人間がもともと持っている自然権を、法の力で守る義務を負っている”
という理解が正確です。
具体例で理解する:自然権と人権の違い
例1:言論の自由
- 自然権:自分の考えを表現するのは人として当然の自由。
- 人権:憲法21条により「表現の自由」として法的に保障される。
例2:生きる権利
- 自然権:誰もが生きることを望む本能的な権利。
- 人権:憲法25条により「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」として具体化。
このように、自然権が「理念」なら、人権は「法律上の形」です。
なぜ自然権・人権が重要なのか
人権の根底に自然権の考えがあるからこそ、
国家や社会が個人の尊厳を守るための基準を持つことができます。
もし自然権という考えがなければ、
「国が決めたことだから」「多数派がそう言うから」といった理由で、
少数者の自由や命が簡単に奪われかねません。
**自然権の存在が、人権を支える“倫理的な土台”**になっているのです。
混同しやすい理由とよくある間違い方
自然権と人権はどちらも「人の権利」であり、似た言葉のため混同されがちです。
特によくある誤解は次のようなものです。
- 「自然権=人権」として完全に同義に扱う
- 「人権は国が与えるもの」と誤解する(本来は「守るもの」)
自然権を無視してしまうと、
人権が“国や制度の都合で取り消せるもの”のように見えてしまうため、
この点は非常に大切です。
権利と義務の違いとは
- 権利:自分が持つ「してよいこと」「守られること」
- 義務:他人や社会に対して「しなければならないこと」
権利は「自分を守るため」にあり、義務は「他人を守るため」にあります。
両者は対立関係ではなく、社会を成り立たせるために相互に支え合う関係です。
「権利は義務を果たしてから言え」は正しいのか?
よく聞く「権利は義務を果たしてから言え」という言葉は、
道徳的な場面では理解できる部分もありますが、
人権の原則としては誤りです。
なぜなら、
人権は「生まれながらに持つもの」であり、
義務の履行と交換条件ではないからです。
例えば、生活に困っている人が「生活保護を受ける権利を主張する」ことは、
納税をしていなくても人として当然の権利の一部です。
したがって、
「義務を果たしていない人には権利がない」という考えは、
自然権・人権の原理から見れば適切な批判とはいえません。
まとめ:自然権を理解すると、人権の意味が見えてくる
- 自然権は人間が本来持つ「生まれながらの権利」
- 人権はそれを法的に保障した「社会的な権利」
- 権利と義務は対立ではなく、社会を支える両輪
- 「権利は義務のあとに」という主張は、道徳的ではあっても法的には誤り
人権を理解するには、まず「なぜそれが生まれたのか」という自然権の考えに立ち返ることが大切です。
私たちが人として尊重される社会を維持するためにも、
この2つの概念を正しく理解しておきましょう。
大野