皆さんは最後に何が食べたいですか?
短編映画「ラストリクエスト」をご存じでしょうか。
この映画は死刑囚の最後の食事を長年作り続ける女性を描いたものです。
死刑囚であっても、人生の最後に食べたいものをリクエストできる「最後の食事」に関するもの。まさにラストリクエストです。
では冒頭の質問に戻りましょう。最後に食べたいものは人それぞれかと思います。
最後に何が食べたいか?という質問は想像しやすいですし、回答しやすいでしょう。
では、人生の最後にやっておきたいことは何ですか?といわれるとどうでしょう。
あれもこれもと思い浮かぶ人もいれば、全く想像つかないという方も多くいらっしゃるかと思います。
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「もしもの時」よりも、その先のこと
人生の終わりについて、私たちはどこまで考えているでしょうか。
「お葬式はこうしてほしい」「お墓はどうしよう」「誰に遺言を伝えるか」――多くの人が、何かしら“終活”について一度は思いを巡らせたことがあるはずです。
でも実際には、多くの人が「その先」のこと――自分が亡くなった後の“片づけ”――については、あまり知らないまま最期を迎えます。
それが現代日本の「普通」になっているのかもしれません。
誰にも迷惑をかけたくない、でも誰かに託したい
今の日本では、核家族化・未婚化・単身高齢化が進み、「ひとりの最期」がますます現実的なものになっています。
家族に頼れない人、親族がいても疎遠な人、そもそも家族を持たない選択をした人…。
そうした方々が口をそろえて言うのが「迷惑をかけたくない」という言葉です。
けれど、人の命が終わるとき、どうしても“誰かの手”は必要になります。
役所への届出、家の片づけ、SNSのアカウントの削除、ペットの行き先…。
死後の事務は、遺された人の手によって一つ一つ処理されていきます。
ほんの一言が、誰かの救いになることもある
「最期に誰かに言っておきたいことがあった」
「亡くなったあの人の“気持ち”がわからなくて、ずっと引きずっている」
そんな声を、遺された人たちからよく聞きます。
生前のわだかまりを解いておきたかった。
誰かに「ありがとう」や「ごめんね」を伝えておけばよかった。
誰が自分の遺骨を引き取るのか、そういう“現実的なこと”すら、誰にも相談できなかった。
これは、亡くなる側だけでなく、遺された人の心にも重くのしかかる問題です。
“ラストリクエスト”とは、そうした“想い残し”をできるだけ小さくするための選択肢なのかもしれません。
「死後」のための準備、それは「生きている今」の決意
死後事務委任契約という制度があります。
これは、自分の死後に必要な事務を、あらかじめ誰かに依頼しておく仕組みです。
でもこの制度の本質は、単なる“手続き”ではありません。
自分の最期に責任を持ちたい、誰かに託したいという「生きている今」の意志の表れです。
人は誰しも、最期まで“自分らしく”生きたい。
見送る人にも、きちんとした形で「ありがとう」と伝えたい。
そんな自然な気持ちの延長線上に、この制度はあるのです。
ラストリクエスト――それは“生きている証”を遺すこと
あなたが今、誰かに託したい思いはありますか?
もう会えないかもしれない人に、伝えておきたいことはありませんか?
“死”という言葉は重く感じるかもしれませんが、
「自分がいなくなった後のことを想像する」ことは、
「今をどう生きるか」を見つめることでもあります。
最期を考えることは、命を肯定すること。
ラストリクエストとは、「ありがとう」と「大丈夫」を遺すための準備。
それは、あなたらしい人生の締めくくり方なのかもしれません。