恐れとは、怖がること、不安、心配すること、を意味します。
最近は恐い人が言われるようになっています。
雷じいさんみたいに、悪いことをしたら誰であっても怒る人ではなく、何を仕出かすかわからない人が増えたという意味だと思います。
確かに人目を気にしなくなった方も多くなっているように感じます。
全体より個を重視する傾向が強いですから、致し方ないのかもしれません。
個を重視することの弊害で恐い人が増えたとは思っていませんが、一要因ではあるのだと考えます。
ただ、全体を重視することもいいとは思いません。
全体に溶け込めなかった人は、はじき出されます。
全員を救うことは難しいですから、はじき出される人が出てくるのもなくはない話なので、良くはないですが致し方ない面もあります。
個を重視した場合、恐い人が多くなる、全体を重視した場合、はじき出される人が増える(あくまで私見ですが)、いずれの場合であっても奇異な目で見られる人が発生するように感じます。
私は、いろんな経験をした先輩にこんな人がいたんですが、どう対応したらよかったのですかね、と相談することがあります。
その人はもれなく、こうしたらよかったんじゃないかな、と返してくれます。
奇異の目で見るのではなく、寄り添ってみる、一緒にやってみる、なぜそんなことをするようになったのか考えてみる、というのが根底にあるような答えばかりを返してくれます。
恐いと感じてしまう正体は、己の無知・経験がないことなのかもしれないとよく感じさせられます。
Z世代やα世代は物事をフラットに見れる、なんてことが言われますが、その要因の一つが、無知ではないことがあげられるのではないでしょうか。
ネットが発達してから誕生しているので、いろんな情報が収集できる。
無知ではないから、恐くもない。対応出来る自信はある、あとは経験だけ。そんな世代なのだと思います。
今後、その世代が社会の中心となったときどのような未来になるのか楽しみです。
それに上の世代は対応できるのか・・・・、どうなるのでしょう。
大野