廃城令とは何か?なぜ明治政府は日本の城を壊したのか
日本各地には、現在も多くの城が残っています。
姫路城、松本城、彦根城、松江城など、観光地として多くの人が訪れる城もあります。
一方で、かつて全国各地に存在していた城の多くは、現在では跡地しか残っていません。
その大きなきっかけとなったのが、明治時代初期の「廃城令」です。
「廃城令」と聞くと、
「明治政府が全国の城を必要ないものとして、全部壊してしまった」
という印象を持つかもしれません。
しかし、実際には少し違います。
廃城令は、単純に「城を壊せ」という命令だったわけではありません。
そこには、明治政府が新しい国家をつくっていく中で、古い城をどう扱うのかという問題がありました。
廃城令とは何か
まず、「廃城令」という名前について少し注意が必要です。
実は、「廃城令」という名前の正式な法律が存在したわけではありません。
1873年(明治6年)1月14日に出された太政官達などによって、全国の城郭や陣屋について、存続させるものと廃止するものを区分しました。
一般に、この一連の処分を「廃城令」と呼んでいます。
このとき、城は大きく、
- 陸軍が使用する「存城」
- 大蔵省に引き渡して処分する「廃城」
に分けられました。
つまり、「廃城令」といっても、すべての城を廃止したわけではありません。
軍事施設として必要な城は、むしろ新政府の軍事拠点として利用されたのです。
なぜ明治政府は城を整理したのか
では、なぜこのような処分が行われたのでしょうか。
大きな理由の一つは、日本の政治の仕組みが根本から変わったことです。
江戸時代まで、全国各地には藩があり、それぞれの大名が領地を支配していました。
城は、その大名が領地を治めるための中心でした。
城には、
- 大名の居所
- 家臣の居所
- 政務を行う場所
- 軍事施設
- 武器や物資の保管場所
など、さまざまな機能が集まっていました。
ところが、明治政府が成立すると、この仕組みそのものが変わります。
廃藩置県によって、城の意味が変わった
大きな転換点となったのが、1871年(明治4年)の廃藩置県です。
これによって、それまでの藩が廃止され、中央政府が全国を直接統治する体制へと移行しました。
それまで、
「○○藩の城」
だったものが、そのままでは新しい国家制度の中で役割を持ちにくくなったのです。
実際、廃藩置県後には全国の城郭が兵部省の管轄となり、その後、陸軍省による調査などを経て、1873年の処分へと進んでいきました。
つまり廃城令を理解するには、
廃藩置県によって、城を必要としていた旧来の政治制度そのものがなくなった
という点が重要です。
明治政府にとって、城は「古い時代の象徴」でもあった
江戸時代の城は、大名による支配の中心でした。
しかし明治政府が目指したのは、全国を中央政府が統一的に統治する近代国家です。
そのため、各地の大名がそれぞれ城を持ち、そこを政治・軍事の拠点とする仕組みは、新しい国家制度とは合わなくなっていきました。
城をそのまま残すことには、維持管理の問題もあります。
全国に存在する城をすべて維持するには、多くの費用が必要です。
そこで明治政府は、必要な城は軍事施設として利用し、必要性の低い城は整理するという方向へ進みました。
「存城」になった城も、保存されたわけではない
ここは、廃城令を理解するときに特に重要なところです。
「存城」と聞くと、
「価値のある城だから保存された」
と思ってしまいそうです。
しかし、そうではありません。
存城とされた城は、基本的には陸軍が兵営などとして利用するために残されたものです。
文化財として大切に保存しようとしたわけではありませんでした。
そのため、存城となった城でも、軍事施設を整備するために古い建物が取り壊されることがありました。
金沢城も存城となり陸軍の管轄になりましたが、その後、城内の建物は失われていきました。
つまり、
「存城=昔の城をそのまま残す」
ではなかったのです。
廃城になった城はどうなったのか
一方、廃城とされた城は大蔵省の管轄となり、土地や建物などが処分されました。
城の建物が競売にかけられたり、別の場所へ移築されたり、取り壊されたりするケースもありました。
その結果、現在では城跡だけが残っている場所も少なくありません。
私たちが現在「○○城跡」と呼んでいる場所の中には、まさにこうした明治初期の城郭整理が大きく関係しているものがあります。
では、なぜ城を「壊す」必要まであったのか
ここには、軍事上の事情もありました。
明治政府は、近代的な軍隊を整備しようとしていました。
江戸時代の城は、大名の軍事拠点としては意味がありましたが、近代的な軍隊の運用にそのまま適していたわけではありません。
そこで、使える城は兵営などとして利用し、必要に応じて建物や土地を改変する。
一方、軍事施設として必要のない城については、維持するよりも処分する。
そうすることで、新しい国家の軍事施設や行政施設として土地を利用しやすくなります。
実際、廃城令では軍事利用を前提として陸軍省の管轄にする城と、大蔵省に引き渡して処分する城が区別されました。
ただし、「廃城令ですべての城が一斉に消えた」わけではない
廃城令について、もう一つ知っておきたいことがあります。
それは、廃城令が出た瞬間に全国の城が一斉に取り壊されたわけではないということです。
その後の利用方法や処分の状況は、城によって異なりました。
「存城」とされた城であっても、軍事施設としての整備に伴って古い建物が壊されることがありました。
反対に、廃城とされた城でも、地域の人々などによって建物が保存されることもありました。
つまり、現在残っている城の姿は、
廃城令だけで決まったものではありません。
その後の軍事利用、火災、売却、移築、戦災、地域による保存活動など、さまざまな歴史が重なっています。
松江城の天守が残ったのも、こうした歴史の一例
例えば松江城では、明治8年(1875年)に城内の建物などが入札にかけられ、天守も売却される予定になりました。
しかし、旧松江藩関係者らが天守保存のために動いたことで、天守が残されることになりました。
もし保存しようとする人々の動きがなければ、現在私たちが見る松江城天守も残っていなかった可能性があります。
こう考えると、現存する城は単に「昔から残っていた」のではなく、失われる可能性があったものを、さまざまな人が残してきた結果でもあることが分かります。
廃城令は「古いものを壊した政策」だったのか
現代の感覚から見ると、貴重な歴史的建造物を取り壊してしまったことは、非常にもったいなく感じられます。
しかし、当時の明治政府にとっては、事情が違いました。
明治政府は、江戸時代までの政治制度を大きく変え、中央集権的な近代国家をつくろうとしていました。
その過程では、旧大名の政治拠点だった城を整理し、新しい軍事・行政制度に合わせて土地や建物を再編する必要がありました。
つまり廃城令は、
「城が嫌いだから壊した」
という単純な話ではありません。
むしろ、
「国の仕組みが変わったため、それまで必要だった施設の役割も変わった」
と考えると分かりやすいでしょう。
城が「文化財」になるのは、もっと後の時代
現在の私たちは、城を歴史的な文化財として見ています。
しかし、明治初期には、今のような「文化財を保存する」という考え方が十分に確立していたわけではありません。
当時の城は、まず軍事施設や行政施設として考えられていました。
そのため、「古いから残す」という発想よりも、
「新しい国家にとって必要かどうか」
という視点が強かったのです。
その後、日本では歴史的建造物を保存する考え方が徐々に発展していきます。
そして現在では、残された城が重要な歴史的・文化的資産として扱われています。
廃城令を知ると、現存する城の見方が変わる
城を訪れたとき、天守や石垣を見るだけでも十分に楽しめます。
しかし、その城がなぜ現在まで残っているのかを考えてみると、さらに興味深くなります。
その城は廃城令で「存城」だったのか。
軍隊が使用したのか。
建物は取り壊されなかったのか。
火災などから免れたのか。
地域の人々が保存したのか。
あるいは、後の時代に復元されたものなのか。
こうした事情は城ごとに異なります。
「城を壊した命令」だけでは分からない廃城令
廃城令という言葉だけを見ると、
「明治政府が全国の城を壊した」
というイメージになりがちです。
しかし、実際には、
江戸時代の大名支配から、明治政府による中央集権国家へと日本の仕組みが変わったこと
が背景にありました。
城もまた、その変化に巻き込まれたのです。
戦国時代には「戦うための場所」だった城。
江戸時代には「藩を治める場所」となった城。
そして明治時代には、軍事施設として利用されるものと、役割を終えて処分されるものに分けられました。
こうして考えると、廃城令は単に城を壊した歴史ではありません。
日本という国の仕組みが大きく変わる中で、「城」という存在の意味そのものが変わっていった出来事
だったのです。
現在、私たちが見る城跡や現存天守は、そうした大きな時代の変化を乗り越えて残されたものです。
城を訪れるときは、その美しい姿だけでなく、
「この城は、なぜ残ったのだろう?」
と考えてみるのも面白いかもしれません。
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大野