バテレン追放令(伴天連追放令)という言葉は歴史の授業で聞いたことがあるかと思います。

誰が出したものかというと、豊臣秀吉です。

1587年(天正15年)に出したキリスト教を禁じる法令です。

この法令を出した場所までは知らない方も多いのではないでしょうか。

現在の福岡県福岡市(筑前箱崎)で発令しました。

これは九州平定後に福岡県に豊臣秀吉が滞在していたためです。

なぜ、滞在していたからと言って追放令を出したのでしょうか。

福岡県に滞在していた時、長崎がイエズス会領となり、要塞化され、長崎の港からキリスト教信者以外の者(日本人)が奴隷として海外へ連れ去られていることを知ったためです。

この事実を知った秀吉は、翌日にポルトガルの通商責任者と会い、宣教師の退去と貿易の自由を宣告する文書を手渡してキリスト教宣教の制限を表明しました。

ただ、宣教師を国外退去を命じていながら、貿易は認めてしまったことで、宣教師と貿易はセットだったこともあり、宣教師の潜入は絶えず、布教も黙認されており、統制は徹底されませんでした。

キリシタンの脅威におそれた秀吉がバテレン追放令を出した、という形のフォーカスがされがちですが、日本人奴隷、人身売買を防ぐという目的もあったという点ももう少しフォーカスしてもいいのかと思います。

大野