戦国大名はなぜ官位を欲しがったのか――「勝手に名乗れる」時代に、あえて“権威”を求めた理由
「戦国大名は官位を欲しがった」とよく言われる。
しかし、そもそも戦国時代の官位は勝手に名乗れるものだった。
では、なぜ彼らは
わざわざ朝廷や将軍から「お墨付き」をもらおうとしたのか。
この記事では、
- 大名とは何者なのか
- 官位はどれほど“いい加減”なものだったのか
- それでも戦国大名が官位を求めた本当の理由
を整理していく。
目次
そもそも「大名」に明確な基準はあったのか
結論から言えば、
江戸時代以前に「大名」の明確な基準は存在しない。
室町〜戦国期の「大名」
- 将軍が任命する正式な官職ではない
- 一国、またはそれに近い地域を実力で支配している者
- 周囲から「一勢力」として扱われていれば大名扱い
つまり大名とは
称号ではなく、評価・慣用表現に近い存在だった。
官位は「勝手に名乗れる」ものだった
戦国時代の官位は、現代の感覚で見るとかなり緩い。
- ○○守、○○介
- 従五位下、正五位下 など
これらは
正式な任官を受けていなくても自称できた。
実際、
- 多くの戦国大名が官位を自称
- 周囲も黙認
- 同じ官位を名乗る者が何人も存在
👉 官位はすでにインフレ状態だった。
それでも戦国大名が官位を欲しがった理由
ここが本題。
理由① 序列をはっきりさせるため
戦国大名同士が並ぶと、必ず起きる問題がある。
- 誰が上か
- 誰が主導権を持つのか
- 交渉の場でどちらが上座か
このとき、
- 朝廷からの正式任官
- 将軍の推薦
がある官位は
一発で上下関係を決められる道具になった。
理由② 家臣・国衆を従わせるため
戦国大名の最大の不安定要素は、家臣や国衆だった。
- 主従関係は契約的
- 裏切りは日常
- 主君の正統性は常に疑われる
そこで官位が効く。
「この主君は、天皇や将軍に認められている」
この一点だけで、
家臣にとっての心理的ハードルは一気に上がる。
官位は
軍事力よりも効く統治ツールになることがあった。
理由③ 外交・婚姻の交渉カードになる
戦国時代の外交では、
- 同盟
- 和睦
- 婚姻
すべてにおいて
格(官位)が交渉材料になった。
- 同格か
- どちらが上か
- 使者の扱い
これらは官位で決まる。
👉 官位=信用スコア
「勝手に名乗る」だけでは足りなくなった理由
戦国後期になると、
- 勝手官位が氾濫
- 価値が下落
そこで差がついたのが、
- 朝廷の正式な任官
- 将軍のお墨付き
だった。
つまり、
官位を信じていたのではない
官位を信じる人間が多いことを利用した
これが戦国大名の本音である。
実例で見る官位の使い方
織田信長
- 初期:官位を自称
- 上洛後:正式任官を獲得
- 最終的に右大臣まで昇進
「官位なんて不要」と言いながら、
最も巧みに利用した人物と言える。
武田信玄
- 甲斐守は自称
- 官位の格を強く意識
- 家臣統制と対外信用に活用
上杉謙信
- 官位ガチ勢
- 関東管領職を最大の正統性とした
まとめ
- 大名には明確な基準はなかった(江戸以前)
- 官位は勝手に名乗れる時代だった
- だからこそ「本物の官位」に価値が生まれた
- 官位は信仰ではなく、統治と交渉の道具
戦国大名は官位を信じていたわけではない。
だが、人が信じる“権威”を、誰よりも理解していた。
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大野