太政官制と内閣制の違い ― 日本の政治体制の大転換

現代日本の政治を支えているのは「内閣制」です。しかし、この仕組みが導入されたのは明治18年(1885年)であり、それ以前はまったく異なる政治体制が存在していました。それが「太政官制(だじょうかんせい)」です。

この記事では、日本史における重要な節目となる 太政官制と内閣制の違い を整理してみましょう。

目次

太政官制とは?

太政官制 は、701年の「大宝律令」によって確立された政治制度です。中国・唐の律令制をモデルにして、日本を中央集権的に統治するための仕組みでした。

  • 天皇を頂点に、政治の最高機関として「太政官」を設置
  • 長官は「太政大臣」
  • 「左大臣」「右大臣」「中納言」「参議」などの官職が存在
  • 立法・行政・軍事をまとめて扱う合議体

形式上は明治時代まで存続し、幕府時代も「朝廷組織」として京都にありました。

内閣制とは?

内閣制 は、明治18年(1885年)に導入された近代的な行政システムです。欧米、特にプロイセンの制度を参考にして作られました。

  • 天皇の下に「内閣」を置き、行政を一元化
  • 内閣の長は「内閣総理大臣」
  • 総理大臣と国務大臣(各省の大臣)で構成
  • 政治の方針を合議して実行する仕組み

初代内閣総理大臣は 伊藤博文 で、日本が近代国家として国際社会に並ぶための基盤となりました。

太政官制と内閣制の違い

項目太政官制内閣制(1885年~)
起源701年「大宝律令」、中国・唐の制度をモデル1885年、明治政府が欧米の制度を導入
最高権力者太政大臣(天皇の補佐役)内閣総理大臣(天皇が任命)
構成太政大臣・左大臣・右大臣・中納言・参議など総理大臣+国務大臣(各省担当大臣)
性格古代的・儀礼的・合議的近代的・行政権を一元化
責任の所在天皇に奉仕、官僚機構の調整役天皇に責任を負う(※戦後憲法までは議会に対して責任を負わない)

違いのポイント

  1. モデルの違い
     太政官制は「中国式」、内閣制は「西洋式(特にプロイセン)」の影響を受けています。
  2. 組織のあり方
     太政官制は「役職の集合体」としての合議体であり、複雑で非効率。
     一方、内閣制は「総理大臣を中心としたチーム」で、行政を一元化。
  3. 時代背景
     太政官制は国内統治を意識した制度。
     内閣制は国際社会で通用する近代国家を目指して導入された制度。

まとめ

  • 太政官制:古代律令制に基づく合議的な仕組みで、形式的には明治まで存在した
  • 内閣制:1885年に導入された近代的な行政制度で、総理大臣を中心に行政を統括

この二つの違いは、日本が「古代的な中央集権国家」から「近代的な国民国家」へと大きく舵を切ったことを象徴しています。

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