生麦事件、それは1862年9月14日(旧暦 文久2年8月21日)に神奈川県で発生した外国人殺傷事件です。
イギリス人が大名行列を馬に乗ったまま横切ったとして薩摩藩士に殺害されています。
場所が生麦村ということで生麦事件となったのでしょう。
薩摩藩士はイギリス人に対して何度も身振り手振りで馬を降りろと伝えたそうですが、相手には伝わらず、主(島津久光)がいる籠付近まで近づいてしまったそうです。
そのため、馬を降りて道を譲れ、と命令しましたが、多くの人がいる大名行列ですからすぐに行動に移すことができず、右往左往してしまい、これに藩士が激怒。
結果は上記の通りです。
この事件が引き金となり、薩摩藩とイギリスの戦争「薩英戦争」が起こります。
当時の薩摩藩では尊王攘夷思想が強く、外国人を排除しようとする動きがあり、イギリスから賠償などの求めを拒否し、イギリスが薩摩藩へ攻撃を開始しました。
これにより、多くのダメージを受けた薩摩藩は結果としてイギリスに対し賠償金を支払っています。
大野