前回の記事では、日本の政治体制の大きな節目として 太政官制(律令国家の政治システム)と 内閣制(明治時代に始まった近代的な行政システム)の違いについて取り上げました。
そこで浮かんでくる疑問があるのではないでしょうか。
「では、1889年に制定された 大日本帝国憲法(明治憲法) の下では、内閣はどのように位置づけられたのか?」
「そして、戦後の 日本国憲法 による議院内閣制と何が違うのか?」
実は、この部分を押さえることで、戦前から戦後へと日本の政治体制がどのように変化したか がよりスッキリ理解できます。
目次
帝国憲法下の内閣 ― 天皇の輔弼機関
1889年に施行された大日本帝国憲法では、内閣は「天皇を助ける機関」として存在しました。
- 内閣総理大臣や各大臣は「天皇の大命」によって任命される
- 議会の信任を必要としない
- 責任の所在は「国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ)」するという形
つまり、内閣は「国民の代表ではなく、天皇を支える存在」でした。
日本国憲法下の内閣 ― 国会の信任を基盤とする議院内閣制
1947年に施行された日本国憲法では、内閣は大きく変わります。
- 内閣総理大臣は「国会の指名」に基づいて天皇が任命する
- 内閣は「国会に対して責任を負う」
- 行政権は「天皇」ではなく「内閣」に属する
ここで初めて、現在につながる「議院内閣制」が確立したのです。
📌 まとめると、
- 太政官制 … 律令体制下の官僚的システム
- 帝国憲法下の内閣 … 天皇の輔弼機関
- 日本国憲法下の内閣 … 国会に責任を負う議院内閣制
という流れで進化してきたのです。