「日本はいつから“国”になったのか?」という問いは、一見簡単なようで、実は非常に奥深い問題です。
なぜなら、他国では「独立戦争の勝利」や「革命の成功」など、“明確な成立の瞬間”が語られることが多い一方で、日本にはそうした「建国の決定的な瞬間」が存在しないからです。
Contents
世界の国々は「戦争で生まれた」?
たとえば、アメリカは1776年の独立宣言、フランスは1789年のフランス革命が国家成立の大きな転機とされます。
多くの国が、他国からの支配を脱し、あるいは王政を打倒して「自分たちの国」を成立させました。
こうした事例では、「国家とは誰かが勝ち取るもの」という観点が前提にあります。
つまり、**建国とは“戦って勝った瞬間”**でもあるのです。
日本には「建国の戦争」がない?
一方で、日本においてはそのような“戦って勝ったから国ができた”という明確な瞬間は見当たりません。
むしろ、神話と連続性によって語られる建国こそが、日本の特徴です。
では、日本の国の始まりは、どのように説明されるのでしょうか?
神話的建国:紀元前660年「神武天皇即位」
日本の建国について、最も古くから語られるのは『古事記』や『日本書紀』に記された**神武天皇(じんむてんのう)**の即位です。
これは、紀元前660年2月11日とされており、現在の「建国記念の日」の由来でもあります。
ただし、これは歴史的事実というより神話的伝承であり、現代の歴史学では直接的な裏付けはありません。
歴史的実態としての「日本」の成立:飛鳥時代~律令国家の形成
歴史的に見た場合、日本が一つの国家として明確に形を整えていくのは7世紀の飛鳥時代です。
- 607年:遣隋使(小野妹子)が「日出ずる処の天子」と名乗る
- 645年:大化の改新(中央集権体制へ)
- 701年:大宝律令が完成し、律令国家体制が整う
この一連の改革により、天皇を中心とした律令国家(近代以前の「国家」モデル)が形成されました。
このあたりから、「日本」という国号が公式に使われ始め(※中国に宛てた文書など)、「国」としての形が固まったと考えることができます。
「日本」という国号の成立はいつ?
「日本」という国号が正式に登場するのは、7世紀末から8世紀初頭のことです。
中国・唐に対して送った文書で、初めて「日本」という言葉が登場しました。
それまでは「倭(わ)」という呼称が主流でしたが、これを改め、
**「日が昇る国」=日本(にっぽん/にほん)**という新たな国号が用いられたのです。
まとめ:戦争ではなく「継続と制度」で形作られた日本
他国のように戦争や革命によって誕生した国家と比べて、日本は「国の形成」が段階的・漸進的に進んでいったことが特徴です。
観点 | 多くの国 | 日本 |
---|---|---|
成立の瞬間 | 独立戦争・革命 | 神話と制度改革 |
国家の正統性 | 民衆の勝利・憲法制定 | 皇統の継続・律令制度 |
建国の記念日 | 実際の戦い・出来事に基づく | 神話に基づいた記念日(2月11日) |
日本は、戦争によって成立した国家ではなく、**皇室の連続性、律令制度の整備、国号の選定などを通して「自然と形づくられていった国」**だと言えるでしょう。
おわりに:日本らしい「国のあり方」とは
「日本の建国はいつか?」という問いに、ひとつの明確な答えはありません。
ですが、**“いつの間にか国になっていた”**というその姿は、他国にはない独自性でもあります。
戦って勝ち取るのではなく、継続と秩序で積み重ねてきた国家――それが日本の姿なのかもしれません。
大野