日本の歴史を振り返ると、「権力者はどんな立場に立って政治を動かしてきたのか」という点が大きなテーマになります。その答えの一つが、古代から続いた「太政官制」にあります。では、太政官制の官職や関白、征夷大将軍といった役職はどう関わっていたのでしょうか。
目次
太政官制とは?
奈良時代に整えられた律令国家の仕組みで、国家の行政を統括したのが「太政官」です。
そのトップが 太政大臣、そして左右に 左大臣・右大臣、さらに 大納言・中納言 などが置かれました。
これらはすべて「太政官制の中の官職」で、律令制における正規のポストです。
関白や征夷大将軍は別の制度
ところが、歴史が進むと太政官制の外に新たな役職が現れました。
- 関白・摂政
天皇を補佐する特別職。平安時代、藤原氏が権力を握るために用いたものです。
律令制には本来なかった役職ですが、太政大臣よりも実権を持つこともありました。 - 征夷大将軍
もとは蝦夷征討のための臨時軍事指揮官でしたが、鎌倉以降は武家政権のトップの象徴に。
太政官制に属する官職ではあるものの、実際は武家の権力基盤を正当化する称号として使われました。
歴史上の人物と官職
いくつか例を挙げると、役職の性格がよく見えてきます。
- 藤原道長:左大臣(太政官制の職)と関白(制度外の特別職)を兼ね、権勢を誇る。
- 平清盛:武士として初めて太政大臣に就任。実力を官職で正統化。
- 源頼朝:征夷大将軍となり、武家政権を開く。
- 豊臣秀吉:関白・太政大臣に任じられ、出自を越えて天下人に。
- 徳川家康:征夷大将軍で幕府を開き、その後太政大臣にも就任して権威を固めた。
- 織田信長:右大臣などの官職を得るが、自らのカリスマで天下統一を目指した。
役職がなければ権力は持てないのか?
必ずしもそうではありません。
- 平安時代初期:基本は「役職=権力」。官職がなければ政治の中枢には入れませんでした。
- 武士の時代:実力(武力・経済力)で権力を握り、その後に官職を得て正統化する流れ。
例:平清盛や織田信長はまず実力で、頼朝や秀吉は役職を武器に正統性を固めました。
つまり、役職は「権力を得るための絶対条件」ではなく、権力を正統化・安定させるための手段として使われたのです。
まとめ
- 太政官制の官職(太政大臣・左大臣など)は律令国家の正式なポスト。
- 関白や征夷大将軍は制度外から生まれた特別職で、時代ごとに権力の象徴となった。
- 権力は必ずしも役職から生まれたわけではなく、実力で握ったあとに官職で正統化するケースも多い。
歴史を振り返ると、官職は単なる「肩書き」ではなく、権力を裏付けるための大切な装置だったことがわかります。そして、その時代ごとに「権力を象徴する職」が移り変わっていったのです。
大野