日本で「国連」と呼ばれる理由と、国際連合の真の設立目的!?

第二次世界大戦の惨禍を経て、世界は「もう二度と戦争を繰り返してはならない」という強い決意を胸に、国際社会の新しい秩序を築こうとしました。その象徴が、1945年に設立された「United Nations(国際連合)」です。

ところが、日本では「国連」と呼ばれる一方、海外では「UN」と呼ばれるなど、名称のニュアンスには違いがあります。さらに、その設立目的も単に戦争を防ぐことにとどまらず、幅広い理念を持っていました。

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「国連」という呼び方はなぜ日本だけ?

国際連合の正式名称は United Nations(連合国)。これは、第二次世界大戦中に日本やドイツなど「枢軸国」と戦った陣営を指す言葉でした。つまり、当初は「戦勝国の連合」という意味合いが強かったのです。

  • 英語圏では「UN」や「United Nations」
  • フランス語では「Nations Unies」
  • 中国語では「联合国」

といずれも「連合国」のニュアンスを引き継いでいます。

しかし、日本ではそのまま「連合国」と訳すと「敗戦国に対する戦勝国の組織」という印象が強くなり、受け入れにくいものでした。そこで、占領期の翻訳の際に「国際的に連携する組織」という意味を持たせて 「国際連合」 という表現が生まれ、略称の「国連」が広まったと考えられています。

つまり「国連」という呼び方は、日本独自の事情から生まれた、やや“やわらかい表現”なのです。

サンフランシスコ会議 ― 国連誕生の舞台

1945年4月から6月にかけて、アメリカ・サンフランシスコで50か国が集まり、国際連合憲章を起草しました。この会議は「サンフランシスコ会議」と呼ばれ、ここで国連の骨格が形作られました。

  • 国連憲章前文には、「戦争の惨害から将来の世代を救う」という決意が掲げられました。
  • また、加盟国は「主権平等」を原則とし、武力によらず平和的に国際問題を解決することが約束されました。

こうして、第二次大戦の勝者が主導する形で、世界の平和と安全を守る新しい枠組みが発足したのです。

日本の国連加盟までの道のり

戦後すぐに日本が国連に加盟できたわけではありません。むしろ、敗戦国として占領下に置かれていた日本は、長らく加盟を認められませんでした。

  • 1951年:サンフランシスコ平和条約で主権を回復
  • 1952年:国連加盟を申請するも、冷戦下でソ連が拒否権を行使し、加盟できず
  • 1956年:日ソ共同宣言により国交回復が実現。同年12月、日本はついに国連加盟を果たします。

この経緯からも、国連が「戦勝国のクラブ」であった一面が見えてきます。

国際連合の設立目的 ― 戦争防止だけではない

国連の設立目的は「戦争を防ぐこと」だけではありません。国連憲章に掲げられた理念を整理すると、次のようになります。

  1. 戦争の防止と平和維持
    • 武力行使を禁じ、紛争を平和的に解決する枠組みを構築。
  2. 人権の尊重
    • 戦争や迫害を背景に「人間の尊厳を守る」理念を明確化。のちに「世界人権宣言(1948年)」につながります。
  3. 経済・社会の発展
    • 貧困、飢餓、感染症などの課題に国際的に取り組むことを目的としました。これは今日の「SDGs」へとつながっています。
  4. 国際協力の推進
    • 教育(UNESCO)、保健(WHO)、難民支援(UNHCR)など、専門機関を通じた協力体制を整備。

つまり、国連は単なる「戦争防止機構」ではなく、人類の未来をより豊かにするための総合的な国際協力の枠組みとして設立されたのです。

まとめ

  • 「国連」という呼び方は日本独自で、元の意味は「連合国」。敗戦国日本では直接的な訳語を避け、「国際連合」という表現を採用しました。
  • サンフランシスコ会議を経て国連が誕生し、日本は1956年にようやく加盟を認められました。
  • 設立目的は戦争防止だけでなく、人権尊重、経済・社会の発展、国際協力といった幅広い理念を含んでいます。

今日の国連は決して万能ではありませんが、その根本には「悲惨な戦争を繰り返さない」という決意と、「人類全体でより良い未来を築く」という希望が込められているのです。

大野

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