1883年(明治16年)11月28日に東京麹町に日本初の洋式社交クラブ鹿鳴館が開館しました。

鹿が鳴く館と書いてなんて読むのでしょう。

これは皆さん読めますよね。学校で習ってなければ読めないかもしれません。

そうです。「ろくめいかん」です。

近現代のところで習うかと思いますが、名前だけ知っているという人も多いかもしれません。

名前が特徴的ですから、中身は知らなくとも読めてしまいますね。

この館は国賓や外国の外交官を接待するための社交場として使用されました。

バーやビリヤードも設置されており、ホテルとしての権能も有していたそうです。

ただ、この館を作るように尽力した井上馨が不平等条約の改正に失敗し辞職したのちは、華族会館として使用されるようになったそうです。

この鹿鳴館は、1941年(昭和16年)に取り壊されています。

大野