本能寺の変から考える「契約書に書かれていないリスク」|信長と光秀の関係を契約実務から見る
「敵は本能寺にあり」
明智光秀が織田信長を討った本能寺の変は、日本史上でも特に有名な出来事です。
天正10年(1582年)、織田信長は中国地方へ向かう羽柴秀吉を援護するため、京都の本能寺に滞在していました。
そのとき、家臣である明智光秀が軍を率いて本能寺を急襲します。
「敵は本能寺にあり」という言葉が実際に発せられたかどうかについては諸説ありますが、結果として信長は本能寺で自害し、天下統一を目前にしていた織田政権は大きく揺らぐことになりました。
なぜ、信長に仕えていた光秀は信長を討ったのでしょうか。
その理由については、現在でも明確な結論が出ていません。
怨恨説、野望説、朝廷関与説、四国政策をめぐる対立など、さまざまな説があります。
しかし、契約実務の視点から見ると、本能寺の変には一つの重要な問題が見えてきます。
それは、
「表面上の合意や関係が存在していても、当事者間の認識が一致しているとは限らない」
ということです。
1. 契約書がなくても、人間関係には「約束」がある
現代のビジネスでは、契約書を作成して取引条件を明確にします。
業務委託であれば、
- どのような業務を行うのか
- 報酬はいくらか
- いつ支払うのか
- 成果物の権利は誰に帰属するのか
- 契約を終了できるのはどのような場合か
といった事項を決めます。
しかし、戦国時代に現代のような契約書が存在しなかったからといって、武将同士の間に何も約束がなかったわけではありません。
家臣として仕える。
領地を与える。
軍事的な役割を任せる。
功績に応じて評価する。
主君と家臣の間には、明文化されていないさまざまな期待や約束が存在していました。
現代の会社や取引関係でも同じです。
契約書に書かれていなくても、
「この仕事を任せてもらえると思っていた」
「この条件で継続してもらえると思っていた」
「これだけ貢献すれば、当然評価されると思っていた」
というような、当事者それぞれの期待が存在することがあります。
問題は、その期待が一致しているとは限らないことです。
2. 「契約違反」よりも怖いのは、そもそも認識が違うこと
契約トラブルというと、
「契約書に違反した」
というケースをイメージする人が多いかもしれません。
しかし、実際には、
契約書に何も書かれていなかったために争いになる
というケースも少なくありません。
たとえば、業務委託契約で、
「SNS運用を行う」
とだけ書かれていたとします。
しかし、発注者は、
- 投稿内容の企画
- 画像の作成
- コメントへの返信
- 数値分析
- 毎月の改善提案
まで含まれると考えていた。
一方、受託者は、
「投稿を作成して掲載するところまで」
と考えていた。
どちらも自分の認識では、約束どおり仕事をしているつもりかもしれません。
この場合、どちらかが明確に約束を破ったというよりも、
最初から「約束の内容」が一致していなかった
という問題があります。
本能寺の変についても、光秀が信長に対してどのような不満や認識を持っていたのかについては、現在でもさまざまな説があります。
しかし、少なくとも現代の契約実務から考えれば、
「相手も当然同じように考えているだろう」
という思い込みが、後に大きな問題を生む可能性があることは明らかです。
3. 「これくらい当然」は契約書に書かれていない
契約書を作成するときに、よくあるのが、
「これは当然なので、わざわざ書かなくてもいいでしょう」
という考え方です。
しかし、「当然」の内容は人によって異なります。
例えば、商品の販売に関する契約であれば、
「商品を納品する」
という内容だけでは、次のような問題が残ります。
- いつまでに納品するのか
- どこに納品するのか
- 送料は誰が負担するのか
- 検品はどのように行うのか
- 不良品があった場合はどうするのか
- 納品後に問題が発見された場合はどうするのか
契約を締結する時点では、当事者同士が良好な関係にあるため、細かいことを決めなくても問題ないように感じることがあります。
しかし、問題が起きた後になると、
「当然こうでしょう」
という当事者双方の「当然」が食い違います。
契約書の役割は、相手を疑うことではありません。
むしろ、
将来、認識が食い違ったときに、何を基準に解決するのかをあらかじめ決めておくこと
にあります。
4. 本能寺の変を「契約終了」の視点から考える
現代の契約で特に重要なのが、契約を終了させる場合のルールです。
契約を締結するときは、誰もが「この契約がうまくいく」と考えています。
しかし、実際の取引では、
- 相手が約束を守らない
- 報酬の支払いが遅れる
- 業務内容が大きく変わる
- 信頼関係が失われる
- 事業方針が変わる
といったことが起こります。
そのため、契約書では、
- どのような場合に解除できるのか
- 事前に通知が必要なのか
- 重大な違反があった場合はどうするのか
- 契約終了後に残る義務は何か
といった事項を定めることがあります。
もし、契約関係を終了するルールが曖昧であれば、当事者はそれぞれ異なる方法で「関係を終わらせよう」とするかもしれません。
もちろん、信長と光秀の関係を現代の契約関係と単純に同じものとして考えることはできません。
しかし、
関係が続いているように見えることと、当事者が同じ方向を向いていることは別である
という点では、現代の契約関係にも共通する部分があります。
5. 契約書は「仲が良いとき」に作るもの
契約書を作成するのは、相手と争うためではありません。
むしろ、相手との関係が良好なときに、
「念のため、条件を整理しておきましょう」
という目的で作成するものです。
取引開始時には、
「信頼しているので、細かいことは決めなくても大丈夫」
と思うかもしれません。
しかし、契約期間が長くなればなるほど、状況は変化します。
担当者が変わることもあります。
事業内容が変わることもあります。
取引量が増えることもあります。
当初は想定していなかった問題が発生することもあります。
そのとき、契約書があれば、
「当初、どのような条件で合意していたのか」
を確認することができます。
契約書は、相手を疑うためのものではありません。
将来、記憶や認識が食い違ったときに、当初の合意を確認するためのものです。
6. 契約書を作るときに重要なのは「何を書くか」だけではない
契約書を作成するとき、
「どのような条項を入れるか」
はもちろん重要です。
しかし、それだけでは十分ではありません。
重要なのは、
その契約が、実際の取引に合っているか
ということです。
例えば、同じ「業務委託契約書」であっても、
- 1回限りの業務なのか
- 継続的な取引なのか
- 成果物を納品するのか
- 作業時間に対して報酬を支払うのか
- 秘密情報を扱うのか
- 著作権などの権利が発生するのか
によって、必要となる契約内容は変わります。
契約書の雛形を使えば、一定の項目を揃えることはできます。
AIを使えば、契約書の文章を作成することもできます。
しかし、
作成できることと、実際の取引に適した契約書になっていることは同じではありません。
本能寺の変をめぐるさまざまな説を見ても、当事者の置かれていた状況や、それぞれの認識を考えなければ、出来事の全体像を理解することはできません。
契約書も同じです。
条文だけを見ていても、実際の取引内容を理解しなければ、その契約書が本当に適切かどうかは分かりません。
まとめ|「敵は本能寺にあり」となる前に、契約を整理する
本能寺の変には、現在でも多くの謎が残されています。
なぜ明智光秀は信長を討ったのか。
何が決定的なきっかけだったのか。
その答えは、今も完全には明らかになっていません。
しかし、現代の契約実務という視点から考えると、一つの教訓を得ることができます。
それは、
「相手も自分と同じように考えている」とは限らない
ということです。
契約書は、相手を疑うために作るものではありません。
当事者双方が同じ内容を理解し、同じ条件で取引を行うために作るものです。
そして、契約書に書かれていない部分が、後になって大きな問題になることがあります。
「そこまで書かなくても分かるだろう」
「当然、こういう意味だろう」
「今までそうしてきたから大丈夫だろう」
そうした思い込みが、後のトラブルにつながることがあります。
本能寺の変のような大きな出来事が起きる前に、契約書では、
誰が、何を、いつまでに、どのような条件で行うのか。
そして、
想定外の事態が起きたときに、どう対応するのか。
を整理しておくことが重要です。
契約書は、単なる書類ではありません。
将来の認識の食い違いを防ぎ、取引を継続するためのルールです。
「敵は本能寺にあり」とならないためにも、契約は、関係が良好なうちに整理しておくことが大切です。
南本町行政書士事務所では、契約書の作成だけでなく、実際の取引内容を踏まえた契約条件の整理や、既存契約書の内容確認・修正サポートにも対応しています。
関連するサポート
感情や立場の違いが関わる問題は、早めに整理しておくことで 将来のトラブルを防げる場合があります。
大野