ファンとは、特定の人物や事象に対する支持者のことを言います。

よくスポーツ選手が「ファンあってのOOですから」といっていますね。

ただ、応援する側からも「ファンあってのOOなのに」ということもしばしば耳にします。
不祥事やあまり印象が良くない行動をした時の批判の言葉として使われます。

ファンあってその職業が成り立っているのに、よくもそんなことができるな、と言っていると思うのですが、これは正しいのでしょうか。

ファンの皆様を楽しませるために行動を起こすのはあくまで職業者、例えば野球選手などのスポーツ選手です。
ファンになっている人たちが我々を楽しませろ、というのは傲慢のように感じます。

なぜなら、ファンは楽しませてもらう、熱狂させてもらうことに対して、対価を支払っているはずですから。
応援される側はその対価に見合う、パフォーマンスをする。
これによって、両者はウィンウィンになっていると思うのです。

応援される側はファンに楽しんでもらえなければ、対価を払ってもらえず職業が成り立たなくなる恐れがあります。
そうならないために一生懸命ファンを楽しませる必要が出てくる。

その結果、「ファンあってのOOですから」という言葉が出てくる。

ファンの方は、このような構図ではありません。
パフォーマンスが良くなければファンをやめればいいだけです。
ファン側が「ファンあっての・・・」というのは自分がファンであり続けるための言い訳に過ぎないように感じます。

ファン側は、ファンを楽しませるために良いパフォーマンスをする必要があると応援される側に言わせるように、一生懸命応援するだけです。


それが真のファンではないでしょうか。

大野