この世界であなたしか残っていません。
何を食べますか。
あるいは、女性(男性)はあなた一人です、どちらの男性(女性)と結婚しますか。
究極の選択です。などといった遊びをすることはないでしょうか。

戦においては「殿(しんがり)」として部隊の最後尾で敵の追撃を防ぐという役割を担うこともまた、最後の一人でしょう。

何がいいたいかというと、最後の一人になってしまった場面に遭遇してしまった場合、何かを「自分で選択すること」を迫られることが多いということです。

・何を食べるのか
・どちらの人を選ぶのか
・戦うのか逃げるのか

あげた例でいうとこれを一人で決定しなければなりません。
ワイワイすることができないのです。
究極の選択を一人でしなければならないっていうのは怖いものです。
責任を誰かに擦り付けることができませんから。後悔しようとしても選択が正しかったのか間違っていたのかすらわからない状態だと思います。

私は一人で生きることができる。誰にも頼らない。などと威勢を張ったとしても最後は誰かに頼ってしまうのが人間です。
頼ったとしても結局は自分の責任で決断しなければならないのですが、決断するまでのプロセスに余裕が持てれば道を間違えるリスクは低くなります。

人は一人では生きられないのです。
なにも群れて馴れ合えとは思っていません。
人間関係が希薄となっている現代において、自分の役割をそれぞれが把握できれば、いがみ合うことは少なくなるのではないでしょうか。
それぞれの役割を把握できていないがために、他人を攻撃してしまう。いじめ・SNSでの中傷などは僻みなどが主な原因だと思います。

誰か最後の一人になるまでいがみ合い続けるのか、それぞれの役割を把握し共同で生きる社会を選択するのか、皆さんはどちらを選択しますか。
最後の一人になってしまうのはすべてを受け入れるということです。
耐えられますか。私は無理です。

最後の一人になって物事を考えてみたというのは、遊びの中だけにしたいものですね。

大野